ドラマ は 私達 を 閉じ込めている 枠 ・ 箱 から 自由 に してくれます。
ドラマ は 私達自身 の 抑圧された 影 の 側面 を 表現する 媒体 でもあります。
私達 の 人格 の 中 には 他人から そして しばしば 自分自身からも 覆い隠されている 様々 な 側面 が ありドラマ で 演じる役 を 通して それら の 縛り から 解放 されること が できるのです。
ドラマ の 役 は それまで 認知 されていなかった または 許容 されて いなかった 自己 の 一面 に 声 を出させ 表現 させつつも それ を ドラマ の 演技内 と いう 安全 な 場所 に 包み込んで おいてくれます。
自分 の 感情 に 気づき また それ を 表現したり 包み込んで 抑える 能力 を 高める こと が できます。
ドラマワーク は 何層 もの 重なり で 成り立っており 徐々 に 本質 を 露 に していく プロセス です。
ともに 表面 を 覆っている 幾重 にも 重なった 層 の 下 にある 内面 を 吟味する 内側 へ 向かう 旅 で あり 自己 と 世界 の 経験 を 拡大 していく 外側 へ 向かう 旅 でも あります。
私達自身 の 未だ 生きられていない 認知 されていない 部分 を 表現 する ことで
お互い の 人間性 が 共通 で ある と いうこと を 発見します。

私達 の 間 の 相互作用 ・ 関係 ・ 社会構造 を よりよく するため に 自分自身 を 理解 する 必要 が あり 自分達 の 人生 に 登場 する 他 の 役者 の 動機・欲求・そして 感情 を 理解 しよう と する 必要 が あります。
演技 を 通して 他人 に なって みること は その人 の 状況 を 自分 の 中 で 想像するより も 遥か に 力強く その効果 は 大きい のです。
ドラマワーク は その 本来 の 性質 からして
共感 と 客観的 な 見方 を 導き出します。
自分自身 を 手放せば 手放すほど ますます 自分自身 に なっていく 自分 を 保持しよう と することで 自分 を 制限してしまう
ドラマワーク は 私達 が 本当 に 自分自身 に なれる 場所 です。
自分自身 の 中 で 未だ 眠っている 側面 を 発見・ 統合 させ 自分 が 何者 であるか と いう 私達 の 概念 を 広げ 私達 は 他人 と 関係 を 持つ こと が 本来 の 姿 で あるか と いうこと を 経験 させて くれます。

この プロセス は まずドラマ と いう 形式 を 使うこと から 開始 されます が 最終的 に 舞台 の 幕 が 開いて しまう と ドラマ と いう 保護 の 元 で 開示 された もの は もう 舞台 を 必要 と しないこと に 私達 は 気づくことでしょう。
